筋萎縮性側索硬化症(ALS)

筋萎縮性側索硬化症(以下:ALS)は運動ニューロンを選択的に侵す、原因不明かつ治療法のない神経変性疾患です。主に壮年期以降に誘因なく発症し、数年で死に至る難病です。本邦における患者数は約9,000人前後とされていますが、罹病期間が短いため毎年の発症数は3,000人前後と必ずしも稀な疾患ではありません。特に、60歳以降の有病率をみると人口10万人あたり20~30人にも及びます。働き盛りの壮年期を侵す致死性の疾患であるため社会的損失が大きく、病因解明・治療法開発への社会的要請は極めて大きいものがあります。しかし、近年の病態理解の進歩にもかかわらず、有効な治療法の開発に至っていないのが現状です。
当社では、ALS全患者の90%以上を占める孤発性ALSにおいて、運動ニューロンのグルタミン酸受容体に本来生ずべきRNA編集が不十分なことを見出した画期的な研究成果※を基に、世界で唯一の、細胞死へ至る分子カスケードの正常化を目的とした遺伝子治療アプローチを行います。

※当該研究成果はネイチャー誌に掲載されました。(Nature 427:801,2004)

 

<治療の現状>

現在、ALSの根本治療はまだありません。
薬剤としてはリルゾール(グルタミン酸放出抑制剤)が唯一承認されており、症状の進行を遅らせ、数ヶ月の延命効果が得られるとされていますが、治療の有効性が実感できるレベルには至っていません。したがって、病期の進行に伴って現れる症状に対する対症療法・ケアが医療の中心になっているのが現状です。

当社研究の特徴

当社が進める孤発性ALSに対する遺伝子治療は、分子病態に基づいた特異的治療法であり、細胞死へ至る分子カスケードの正常化を目的とした、これまでにない画期的なアプローチです。
ALSの運動ニューロンではADAR2というRNA編集酵素の発現が低下しており、これが運動ニューロン死の直接原因であることを解明しています。そこで、当社が開発した脳と脊髄の広範な領域の神経細胞に遺伝子導入可能な改変型アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを使用してヒトADAR2を脳と脊髄の運動ニューロンに送達し、低下したADAR2活性を正常化させることにより、運動ニューロン死(変性と脱落)を阻止し、症状の進行を食い止めます。

遺伝子治療の概要

孤発性筋萎縮性側索硬化症(ALS)では、運動ニューロンでRNA編集酵素であるadenosine deaminase acting on RNA2(ADAR2)の発現が低下し、AMPA受容体(グルタミン酸受容体サブタイプ)のGluA2サブユニットに本来起こるべきRNA編集を欠いた未編集型GluA2が発現しています。この分子変化は孤発性ALS患者の大多数に見られ、他の神経疾患には見られない疾患特異的分子異常であり、運動ニューロン死の原因となっています。
ALSの遺伝子治療には脳や脊髄の運動ニューロンに治療遺伝子を行き届かせる必要があるため、静脈注射投与による遺伝子の送達が望まれます。しかし、投与した遺伝子は脳や脊髄にたどり着くまでに血液脳関門を通らなければならないため、有効量を脳や脊髄で発現させることが困難でした。また、静脈注射では遺伝子が目的とする運動ニューロンだけではなく全身に発現するため、全身の臓器での副作用が危惧されました。そこで、血管内あるいは脊髄腔内に投与した場合でも脳や脊髄内の神経細胞(ニューロン)だけに遺伝子が発現するウイルスベクターを開発しました。このウイルスベクターにADAR2遺伝子を組み込み(AAV.GTX-ADAR2)、遺伝子治療を行います。

AAV.GTX-ADAR2の特徴

当社の遺伝子治療では、治療遺伝子を神経細胞に導入するベクターとしてアデノ随伴ウイルスadeno-associated virus (AAV) を使用します。このAAVベクターは、外被蛋白の一部を改変することにより遺伝子導入効率を上昇させています(国際特許出願)。また、神経細胞特異的に遺伝子を発現させるために、synapsin 1 プロモーターを使用しています。ALSの遺伝子治療では、この改変型AAVベクターにヒトADAR2遺伝子を組み込み、運動ニューロンでADAR2を発現させます。
導入遺伝子であるADAR2(Adenosine deaminase acting on RNA 2)は、二重鎖RNAのアデノシンに働く脱アミノ基酵素で、AMPA受容体のサブユニットであるGluA2のグルタミン・アルギニン(Q/R) 部位のアデノシンからイノシンへの置換(A-I置換)を特異的に触媒します。この反応により遺伝子にコードされたグルタミン(Q)コドン(CAG)がCIGに変換されます。翻訳時にイノシンはグアノシンと認識されますが、ADAR2がないとこのA-I置換が起こらず、遺伝子にコードされたCAGがそのままグルタミン(Q)に翻訳されるため、通常は発現しない未編集型のGluA2Qが発現するようになります。GluA2のQ/R 部位はAMPA受容体のイオンチャネルポアの内腔に面しており、編集型GluA2では陽性電荷のRがカルシウムイオンの流入を妨げますが、未編集型GluA2ではこの部位が中性電荷のQであるためカルシウムイオンの流入を妨げない、というメカニズムによりGluA2はRNA編集によりAMPA受容体のカルシウム透過性を制御する特性を獲得します。ニューロンに発現しているAMPA受容体の大多数はGluA2を含み、そのGluA2は全て編集型です。そのため、正常な運動ニューロンに発現するAMPA受容体はカルシウム非透過性ですが、孤発性ALS運動ニューロンでは未編集型GluA2の発現により、カルシウム透過性のAMPA受容体を発現するようになります。

これまでの成果と今後の予定

前臨床試験

孤発性ALSの病態を示すコンディショナルADAR2ノックアウトマウス(AR2マウス)にRNA編集酵素ADAR2遺伝子を組み込んだ上記のAAVベクターを経静脈的に投与し、遺伝子治療の効果を検討したところ、脊髄運動ニューロンへの遺伝子導入が確認され、運動機能の低下が抑えられました。この効果は投与7ヶ月後でも持続し、この時点で観察すると、ADAR2遺伝子を組み込んだAAVベクターを投与していない対照群と比較して、脊髄のADAR2発現が1.5倍に上昇し、カルシウム透過性AMPA受容体である未編集型GluA2の発現が減り、脊髄前根の軸索数や運動ニューロンの細胞数の減少で表される運動ニューロンの変性や脱落が抑制されました。また、ALSに特有なTDP-43の異常な局在変化が軽減され、TDP-43が核に局在する正常な運動ニューロン数が増加しました。上記の結果は、ADAR2遺伝子の導入によりADAR2活性が回復 → 編集型GluA2の発現増加 → 異常なカルシウム透過性を示すAMPA受容体が減少 → 運動ニューロン脱落が抑制という治療効果を示しています。AAV-ADAR2を投与したマウスの中枢神経における異常なグリア細胞の反応や末梢臓器における炎症細胞浸潤は見られず、AAVベクターによるADAR2の遺伝子治療は安全に行えると考えられます。改変型AAVベクターを使用してADAR2を運動ニューロンに広汎かつ安全に送達する遺伝子治療は、孤発性ALSの革新的な治療として期待されます。

臨床試験(治験)

2022年に自治医科大学附属病院において開始されました。